始まりは自分。
ものごとの因果関係がどこにあるかは、
なかなか複雑であるのですが・・
自分の目の前の事象を結果と捉えるか、
自分の捉え方をどうとるかではまるで異なる。
事象自体は変えられることは少ない。
それは自分だけで成り立っていないし、
幾人かの人が関わっていれば事情も絡む。
特に私が見つめているような、
喪失や死のように避けられないものでは尚更だ。
それでも事象をどう捉えるか、
この始まりは誰でも自分の胸のうちにある。
自分の視界、
自らが持つ概念、
そこから生まれる言葉から・・
全て生まれてきているということ。
ネガティブとか、ポジティブとか、
そういうことを言いたいのではない。
自分の見たこと、感じたことを、
どれだけそのまま捉えられているか。
もしくは掛けているフィルターに気付くか。
私たちはこれを学びながら生きる。
自らの学びもあるし、
ときに出逢った人から学ぶ。
数年前に書いた上の記事も、
“始まりは自分”に他ならない。
こんなふうに世界を捉えると、
自分の世界はまるで違ってみえてくる。
そうしなきゃいけないのではなく、
自分がどう生きたいか自分の源泉に問うてみる。
いのちの表現をしながら生きていく。
そのとき、自分の中に始まりがある。
2017/06/02 | グリーフとの向き合い方, 繋ぐ・繋がる グリーフケア, 気付く
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