2016年6月8日 静岡新聞小社説
掲載から時間が経ってしまいましたが、
読みたいというお声を頂きますので記事としてこちらへ。
人が生きている限り、
悲しいことや生きづらさはずっとあるのかもしれない。
そこに目をそむけて生きる時代はもう過ぎたのだろうと感じる。
高度成長期、ものが増えれば、
もっと便利になれば、
人は幸せになれると夢見ていた。
物が溢れても、贅沢しても、便利になっても。。
私達は満足しないと既に知った。
なにか見落としてきたのかもしれないと。
6月8日は大きな事件の御命日が重なる日、
取材に来た記者さんからそのような犯罪や災害のことと
グリーフケアの関連を教えて欲しいと言われた。
正直私になにか応えられるだろうかと思った。
その関係者の方とお会いしたこともないのに、
理論や想像だけで話したくないと思った。
だけど新聞の社説という重要なところで、
グリーフとグリーフケアを扱って頂けるなら。。
また誰か想いを受け取ってくれるのかもしれない。
そう自分を鼓舞して、
こころの中の哀悼の気持ちを私の想いに変えて。。
言葉を慎重に選びながら、お話しをさせて頂いた。
2016年6月8日 静岡新聞朝刊一面 小社説“大自在”に、
グリーフケアと私の名前を扱って頂きました。
事件が残忍だったとか、
つらいというだけでは人は目を背けようとしてしまう。
どこかの遠い事件なだけにならないように。
マスコミの方にはそこでまた人が生きて、繋がることを、
誰かの手が伸びることを伝えて欲しい。
浅い形だけの寄り添いとかにはして欲しくない。
そうお願いした。
ここだけの話、掲載されない覚悟もした。
取材が終わった後で、ちょっぴり後悔もした。
言い過ぎちゃったかなとか、
やんわりしとけばよかったのかなとか、
分かってもらえただろうかとか。。
この取材からの数日は緊張していたの。
でも正直に伝えたのだから、とも感じていた。
私が伝えたいことを伝えずに、
掲載されるだけでは私の想いとは違うから。
“いい記事だったね” たくさんの方が言って下さった。
そうお声を頂戴する度に、
関係している方の胸の痛みが和らげばいいのに。
そんなことを願いながら、
忘れないでいることや想いを寄せることを祈る。
私達はここから何を見つめていけばいいか、
そんなことを一緒に見つめていけますように。
この気持ちが文字となり、
繋がってくださる方へと今日も届いていきますように。
今日も読んでくださり、本当にありがとう。
2016/06/17 | グリーフとの向き合い方, 繋ぐ・繋がる グリーフケア, 取材, 御家族から教えて頂いたこと
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