誰のため?
静岡大学での講義シリーズ、
といっても私がふと思ったことを綴るだけですが。
が教科書でして、
ディスカッションを中心とした授業です。
学生からの問いが新鮮だと先日も書きました。
今回は、第2章ですね。
「看取りを選ぶのは、誰のためか?」
こんな問いが出されました。
2章は特に小児事例だったこともありますが、
成人でも脳死や意思表示のできない場合家族が決定するということもあります。
小児の場合、
そのこのことを思ってというが親のためもあるのでは・・
という学生の視点です。
本人の意思が確認できないとか、
もしくは、
確認することが難しいという成人の事例でも同じことが言えると思います。
学生からすると、
自分も家庭内ではこどもという立場でもあります。
(社会人学生以外は、親という立場の人はまだいないので)
また将来は親になっていく(予定)の年代。
「誰のためか」
治療の続行か、看取りの方向か、
このふたつが平行して選択肢として示されることは多々あります。
本人に意識があっても悩まれるでしょうが、
この場合は本人の意向が分からないという前提で考えていきます。
はたまた、治療の続行と看取りはどちらがいいのか。
(いい、悪いの問題ではないのですがね。
経験のないことを問うとき、
どうしてもこういう言葉がまだ出ますね。)
素直にたくさんの意見をだして、
感じて欲しいなぁと思うのです。
人や状況によっても違います。
正解はないのだとも思います。
それでも決断が必要なことがある。
大事なこととして、
この問いも本来はもう少し紐解きたいところです。
誰かのため、なのか。
❝ため❞ってどんなことだろうという言葉が、
私の頭の中に回っていましたが。
なかなか授業中は、私の疑問を問うことは出来ません。
家庭内では❝誰のため❞というと、
顔の見える個人を思い浮べることができますね。
もう少し大きく、
寄り添いやその人へのケアと考えた場合。
そのことに対して考えることは、
顔の見えない人の未来へ繋がることもあります。
人は優しい生き物です。
悩みって嫌がられるのかもしれないけど、
考え抜くことが出来ることだけなこともあるよ。
いのちに寄り添うにはどうしたらいいか、
一緒に考えた日々が今にも繋がっている。
決して・・
自分が楽になりたいだけでないと私は信じているのです。
私達の人を想う心の作業は、
誰のためか・・胸に置いておきたいと感じます。
そんな頭の中がぐるぐるしてたら、
雲がハートになってました。
2016/11/07 | グリーフとの向き合い方, 喪失 グリーフケア, 喪失とともに生きる, 気付く
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