生きる理由にある問い
先日“死なない理由”の話になり、
“生きる理由”でない訳を考えていた。
いくつか思いついて・・
まだまとまってはいないけど、
忘備録のように書いておこう。
私が一番に反応したのは、
死なない理由は自分以外を語ること。
まぁ、生きる理由でも・・
こどもがとか、仕事がになることもあろうが、
その語りの質感はかなり異なる。
自分の外側を語るとき、
そこにエネルギーは消費する。
例え、本当に想っていても。
生きる理由を語らないのは、
自分のいのちから始めていないからかもしれない。
あと希望をなくしたとして、
まだ終わってない現実もあること。
今見ている現実は本当に現実化、
怖さにまみれた幻想が混じっていないか。
そして最初に戻るが、
理由は要るのか?は大きな疑問だ。
生を享けただけで充分、
それは理由にならないのかな。
理由が必要だと感じる前提は何からだろう。
人生にはいろいろなことがある。
しんどいことばかりと感じることもある。
けれど、それだけを見つめなくていい。
誰にも素晴らしい瞬間は訪れる。
瞬間に感じるだけで、
あなたの人生の象徴でもあると思う。
そこにある人生の問いはなんだろうか。
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