ただ、人として。
講義のスライドを作る週末のこの二日間。
(大学の講義の想定も頭の片隅にずっとあり・・)
言葉を解体しながら、
また気持ちと融合するような作業の中で思うこと。
このところ、言葉って難しいなと思うんです。
このとこ?なのかな?
前にも書いたかな?
教授に❝言葉って不便ですよね❞って言ったら、
❝なかったら、もっと不便でしょう❞
と言われ・・
確かに、それはそうなんだけどね。
このところ言葉の概念より、
それを受けた人の気持ちの方が先に走る印象がある。
私もそうだったけどね。
ネットの進化で言葉には多く触れるようになった。
便利でもあるね。
その中でふいに目にする言葉や情報の中に、
自分の持つ痛みにも触れる機会が増えたのかもしれない。
相手がどんな人か、どんな想いを持っているか、
人となりが分からぬまま言葉だけが刺さる。
そんなとき立ち返りたいことは、
❝人として❞
私ね、小さい(幼稚園くらいね)とき、
何にも得意なことがないこどもでした。
お絵かきもかけっこも上手にできなくて、
お弁当もビリでした。
毎日悲しくて、
今で言えば生きづらかったのだと思います。
でもそのことを表現する言葉は、
まだ持っていませんでした。
周りのこどもはみんな楽しそうで、
私だけが出来ない子だと思っていました。
(母曰く、こどもの私はマイペースの自由人だったらしいから
この話はきっと思い込みも多々あるかもですが。)
まぁ、でも当時の私は苦しかったのは本当です。
小さいながらにどうしたらいいか困っていました。
それで知っている範囲で考えたことは、
人のためと言われる仕事にせめて就こうとした訳です。
このときの想いは全く自己肯定感も低く、
今思っても短絡的でもありますが。。
人として、人のためにできることをしよう。
という気持ちは純粋だったと思うのです。
大人になってから様々な学びの中で、
自分のことも振り返りました。
自分の痛みも掘り下げてみました。
こどもの頃よりもいろいろな選択肢もありますが、
それでも結局辿り着くひとつが同じな訳です。
人が生き抜く姿は素晴らしく、
いのちはただ美しい存在だという意識は変わらない。
よって、
他の人と繋がって生きるという生き物である。
人として誰かとともに生きるという世界で生きる。
それならば私は、
何かのときに手を伸ばせる自分でいたいのです。
実際に出来ることなどないとしても、
誰かがそう言ってくれたら嬉しいと思うのです。
人と関わることが喜びであるといい。
❝人として❞
愛に満ちて、
いのちを大事にお互いが寄り添って生きていきたい。
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