もっと、故に。
大切な人やものをなくす、
そんなことが生きる時間の中にある。
考えたこともないことが起こる。
ニーメイヤー先生は、
それを「想定の世界の崩壊」と表現しています。
人は❝もっと❞と望むが故に、
自分がしんどくなっていく。
かつての私は今を認めず、
もっともっとと本を読んでいたように思う。
だから涙しか出なかった。
頭で考えることや、
期待の欠片だけを望んでいたから。
いくら泣いても涙は枯れないのかもしれない。
だって大切な人だということに変わりはない。
それでいいのだろう。
泣き続けたとして、
それ以上に笑った時間の方がきっとある。
もっと今までよりマシになることでなく、
自分のいのちから受け取る。
存在から溢れ出る、
見果てぬ世界にもっと憧れて生きる。
魂というものを信じるとして・・
それが大きな源なのだとしたら、
螺旋状の進化をもっと追えるのだから。
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